僕らのサマーウォーゲームズ

『サマーウォーズ』のモロネタバレですのであしからず。

 先週の日曜日にいそいそと新宿はバトル9まで出かけてみてきました。
 間違えて最初ピカデリーに行ったのは内書です。あんまり行かないからなあ、バトル9。
 エレベーターが大混乱だったのでエスカレーターで9階へ。エレベーター前のカオスっぷりは営業的にどうかと思うんだが。サービス的に良くないぞと。

 で、映画。
 基本的に前情報無しで見に行くのを信条としているので、ほぼあらゆる情報をカットで臨む。
 
 9年前に『ぼくらのウォーゲーム』でその名前を世に広くしろしめた細田守ではあるが、やはり2006年の『時間をかける少女』までは、知る人ぞ知る、と言うレベルを出ることはなかったはずである。
 「時かけ」のヒットにより、僕らのようないわゆる「オタク層」以外の一般層(と言うものの線引きが今どんな状態になっているのか、こちら側にどっぷりはまっている自分には想像できない)に対してある程度のネームバリューを持つことになった細田守が、改めて、『ぼくらのウォーゲーム』を世に問うてきたんじゃないかと思えるのが、この『サマーウォーズ』だ。(すくなくとも、分母の数が0一つ二つは違うんじゃないかと思う)
 ・・・・・・それほどまでに、終盤のプロットが似通っていたことも確か。とはいえ、(僕の中でそう理解しただけではあるが)細田守が描きたかったことを、40分しかない「ぼくらの〜」に納め切れていなかった、と言うことで115分の本作に持ち込んできたのか、と思えないこともない。
 もっとも、それは僕の個人的な感想であって、実際に細田守がこの映画に込めたメッセージとは違うのかもしれないけれど。(ゆえに、細田守が伝えたかったこと、と言うのをここで書くのは控える。的外れだったなんか嫌だなあってのもあるけれど、元来、自分の意図は100%他人には伝わらないよってのが僕の持論でもあるから、ある事柄の評論ってのが基本無意味だなあと(色々全否定))

 ゆ・え・に、
 ラブマシーンがディアボロモンかぶるとか、落下する人工衛星が核ミサイルとかぶるとか、夏希先輩を応援する世界の声がオメガモンを応援する世界の声とかぶるとかそういったたぐいの批評は一切排除。僕が理解したこの作品の持つ意味を考えると、その批判は的外れと言わざるを得ない。
 原作を読んだことのないアニメ版の視聴者に対して、それは原作と内容一緒だと言っているに過ぎないので。

 じゃあこの映画を見る上でのポイントは何、とかになっても、僕はそんな大それた事は言えないし、言う気もないし、そもそもそんなことを言うこと自体無意味な気がするし。元来、批評なんてつまらないものはないと思ってるし、減算評価するようなのは好きじゃないので。

 結局の所、僕はこの映画を115分楽しめましたよと。なんと言っても、細田守の描く夏の表現が大好きな僕としては、端から端まで楽しめました。「時かけ」では都会の夏風景を丁寧に描いてましたが、今作では田舎の夏の表現を至極丁寧に描いてました。
 都内では望むべくも無いあの縁側がすべてだと思ってます。(台所に親戚が集まって食事を作るとかは、田舎出身の身としては懐かしく思えた。お祭りとか、お盆とかでよく見た風景 )
 そして青い空と白い雲。秋ほど高くはないけれど、太陽光が強い夏の青空の表現はたまらないと。

 ・・・なんかとりとめなくなってきたな。詫助が貞本絵の特徴出過ぎて笑ったとか、そういったこともちらちら。
 まあとにかくは、115分楽しめたことは確か。